勉強会という名の貧困格差社会。広がるレベルの低い教員

2023/11/10

    19日、愛知県にある小学校に集まったのは、教員を目指す現役の大学生。
    開催されたのは、教員や教員を目指す学生がトイレ掃除を教わる研修会「便教会」である。
    トイレを磨けば、心も磨けるをモットーにすべての作業は素手で行う。
    コロナ以降は衛生面を考え、手袋着用も可能となったが、頭を便器に突っ込むくらい近づけ、2時間磨き続けるという。
    要望があれば子どもたちとも向き合う。
    しかし、20年前からトイレ掃除に学ぶことを伝統行事としてきた小学校では最近、保護者から「衛生的にどうなのか?」「やることがちょっと古いのでは」と疑問視する声があがっている。
    「便教会」は、腰を落とし目線を低くして、信念を持ってトイレ掃除を行うことで、多くの問題を抱える教育現場を変えるという目的のもと活動を実践しているという。
    発起人で教員経験もある高野修滋氏は、立ち上げの経緯について「1997年に大病をして自分の余命を考えるようになり、真っ暗な人生の中で日々悩みを抱えながら教壇に立っていた。
    そんな時、友人から『トイレ掃除をすると感動するよ』と言われたそうだ。
    感動はキラキラ輝いているもの。
    死ぬまでに1回ぐらいそんなことをしてもいいかなと参加したら、長いトンネルの出口が見えたような、一条の光が差し込んできたような思いだった」と説明。
    これまでに指導してきたのは全国で300校以上。「気持ちは、目にしているものと似てくるもの。汚いものを見ていれば荒んでくる。みんなが使うトイレを掃除するのは、誰かのため、思いやりというところなので、それを子どもに教えられたらと思っている。けっして強制的にやらせてはいない」と話す。
    作業を素手で行う意義については、「実は、最初に保護膜を作るようなクリームを手につけて、手袋をして行っている。万が一、手袋が破れてけがをした場合はすぐに処置をするなど、衛生面と安全面は常時気をつけている」
    「素手でやらないといけないことはない。ただ、どうしても便器の裏側など目に見えないところは、手袋の感触ではわからないので、私は直接ザラザラ感やヌルヌル感を確かめている」と述べた。
    目線をトイレに合わせるのは、“気づく力“を育てるため。
    「全然見える世界が変わってくる。細かな汚れがこんなところにあったのかと。この汚れにはスポンジを使ったほうがいいのか、もうちょっと強力なナイロンたわしを使ったほうがいいのか、手洗いの下の配管周りは傷がついちゃうから柔らかいものでやろうとか。汚れを発見して、それにどう対処していけばいいかということも学べると思う」とした。
    高野氏は「いろんな意見があるのは当然だと思う。私も最初にトイレ掃除を素手で行ったときは、正直あり得ないと思っていた。私は子どもたちに『掃除』という言葉を使わず、『きれいを広げる』と伝えている。学校での掃除は、終わった後に先生が見回りをして確認をするが、まだやっていないところに目が行きがちだ。しかし、『きれいを広げる』の実践であれば、生徒たちは『僕はここをきれいにした』『私はここをきれいにした』と言え、それを教師は褒めることができる。生徒も嬉しいという、Win-Winの関係になる」と返す。 続けて「褒められる=認められるということ。今の社会、教育の中で認められることはほとんどない。勉強は苦手な子が多く、足が遅い子が速くなるのは難しいが、掃除は誰にでもできる」と主張している。

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